2016年2月号掲載「特別寄稿」日韓トンネル推進全国会議事務局長 大塚 正尚

青函トンネルをやった男(佐々 保雄)

1981年、登山家でもあった西堀栄三郎から、日本山岳会の会合の席で隣り合わせに座り、夢のバトンタッチを受けたのが、日本一難しいと言われた青函トンネルの地質調査を手掛けた佐々保雄(北海道大学名誉教授)であった。

佐々はその席で西堀から「青函トンネルをやった君のことだ。日本でもこれに応じて一肌脱いでみないか」との誘いを西堀から受けた。

地質調査のかたわら、内村鑑三の聖書講座にも通っていた佐々は、後年この西堀からの言葉に不思議な神の導きを感じたという。というのは、教え子でもあったソウル大学の鄭教授の招聘に応じた、青函トンネル記念講演の結びで、自ら「将来、日韓の間にもこうしたトンネルをつくることは、両国のために極めて有意義なことである。これは君たち若い人々によって是非実現してほしい」と語っていたからだった。

当時、日本国有鉄道(国鉄)が運用していた、青函連絡船「洞爺丸」(とうやまる)

青函トンネルルート図

青函トンネル

1954年(昭和29年)9月26日、台風15号による、青函連絡船「洞爺丸」沈没事故は、死者行方不明合わせて1155人という日本海難史上最大の惨事となった。

この事故により、本州と北海道をトンネルで結ぶ構想が一気に具体化。翌年より調査研究が開始され、佐々が深く関与することとなる。調査研究に10年という歳月が費やされ津軽半島と松前郡を結ぶ西ルートと、下北半島と亀田郡とを結ぶ東ルートとが検討された。当初は距離が短い東ルートが有力視されたが、水深も深く、地質調査の結果をふまえて西ルートに決定された。

1964年、掘削が開始され、映画「海峡」にも描かれているように、何度もの出水に遭い、最大毎分85トンもの大出水も発生し、34人の殉職者を出している。1987年、全長53.9キロメートル、海底部は23.3キロメートル、工事期間24年、工事費6900億円、作業員述べ人員1400万人におよぶ世界最長の海底トンネル、青函トンネルが完成する。

 

青函トンネルから日韓トンネルへ

佐々 保雄(ささ やすお)地質学者、登山家、理学博士。北大名誉教授。地質学・鉱物学の専門家で、国の資源開発に関する調査・立案に携わる。1945年に始まった青函トンネルの立案時から調査に参加、技術顧問として、完成まで建設に携わった。1983年「国際ハイウェイプロジェクト・日韓トンネル研究会」の設立に参画。初代会長(1983年~1999年)。名誉会長(~2003年)。

そして佐々は、青函トンネルの夢を、日韓トンネルに引き継ぐかのように、1983年、地質学者やトンネル関係の技術者、日韓関係の専門家などからなる「日韓トンネル研究会」の初代会長に就任する。

佐々は、日韓トンネル研究会会長の就任あいさつで、次のような国際ハイウェイ、日韓トンネルの趣旨を述べた。

「世界の平和を念願し、その達成の一つの手段として世界をハイウェイで結ぼうというもので、地上の道によって人々の往来を繁くし、相互理解を深め、それによって人々の間に平和をもたらそうという、理想に燃えた壮大な計画で、その具体的な第一歩として日本と韓国との間にトンネルをつくるものです。

その理想とするところに共感を覚えますとともに、私が多年にわたり微力ながらお手伝いしてきた、青函トンネルの地質調査の経験が、これに多少でもお役に立て得るならばと、この計画に著しい興味を抱くにいたりました。

昭和14年には、国鉄の鉄道監察官の湯本昇氏が、『中央アジア横断鉄道建設論』(東亜交通社)を著し、東京―ベルリン間を鉄道で結び日韓海峡に鉄道トンネルを通すことを書いています。その副題には「世界平和への大道」とあります。

そして、国鉄の中に「中央アジア横断鉄道研究会」が設けられ、その会員には、後に青函トンネルの生みの親になる、技師の桑原弥寿雄氏の名前もあります。

青函トンネルなどで蓄えた日本の技術力があれば、日韓両国民がその気になって協力し合えば、日韓トンネルの実現は不可能ではないと考えるようになりました。

本来、こうした二国間にまたがる計画は、政府で取り上げてやるべきことですが、それを待っていたのではいつのことになるかわかりません。そこで、英仏間のドーバー海峡トンネルのように、当面は民間主導型で進めて行くことになりました。」

こうして、現在もNPO法人となって活動中の日韓トンネル研究会は、出発時より、トンネルの理念、経済、文化、政治を考える部会、トンネルが通る地域の地形、地質、水分の調査に関する部会、どこに路線を設け、どんな設計で工事を進めるかを考える部会、トンネルの環境問題を研究する部会などの4部会に分かれて、研究や調査を進めてきている。

そして、佐々は挨拶を閉じるにあたって、日韓トンネルの夢を熱く語った。

「東アジアは、世界経済の中でも最も活力のある地域として注目されています。東アジアがこれからの時代に世界経済の牽引車になるには、この地域の交通インフラが何としても必要です。それが日韓トンネルであり、ユーラシアハイウェイで、それらはやがて東アジア経済共同体を、この地域に生み出す契機になるでしょう。国際ハイウェイは、単に経済上の計算では計り知れない、意識上の大きなメリットをもたらすものです。

今や、自国の国益のみを望む時は過ぎ去ろうとしています。自国中心の考えから汎世界的な考えに脱却しなければ、自国の繁栄はあり得なくなっています。日本はその経済力や技術力を、世界のために奉仕すべきでしょう。それによって、世界から親しまれ敬愛される国になれるのです。他国の信頼と好意こそ、国の最大の財産だといえます。

この使命感と創造性と論理に裏付けられて、私たちはこの日韓トンネルの研究を進めたいものと考えています。それが21世紀への最も大きな遺産になると信じます。」